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ベリッシモ・フランチェスコ・喜広《料理研究家》

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ベリッシモ・フランチェスコ・喜広
(本名:Francesco Bellissimo)
料理研究家・デザイナー・コラムニスト

ローマ(伊)出身。イタリア料理研究家、デザイナー、コラムニスト。日本とイタリアの文化の架け橋的な役割で活躍、イタリアのファッション・スポーツや観光などその他ETC.のアイディアを具現化する事を使命としています。クッキングショウの主宰、デモンストレーション、全国で講演、テレビ出演(NHK、テレビ東京など)、雑誌の連載、料理教室など。ベリッシモは人との出会いを大切にし、謙虚な姿勢と努力をモットーに地道に活動をしていきたいと思っています。ローマクラブ日本会長、イタリア料理研究会会長 (加盟レストラン16店舗)、クチーナ・ベリッシモ代表を務める。
 

 
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松尾雄治《成城学園大ラグビー部監督》

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松尾雄治(まつお ゆうじ)
成城学園大ラグビー部監督

父親の影響を受け、成城学園小でラグビーを始める。
成城学園中、高と進学し、高1で目黒高(現目黒学院)
に転校。2、3年時に全国大会出場。明治大進学後、
3年生でスクラムハーフからスタンドオフに転向し大学選手権、
日本選手権を制した。76年に新日鉄釜石入りし、78~84
年度の社会人選手権、日本選手権のV7に貢献。82年度から
は監督も兼任した。日本代表キャップは24。ラグビー選手
としては小柄な体格ながら、卓越した戦術眼と正確なプレーで
数々の名場面を演出。「ミスター・ラグビー」と呼ばれた。
 85年に現役引退し、スポーツキャスターに転身。
評論活動のほか、ラジオパーソナリティーなど、幅広い
ジャンルで活躍している。88年から日本ラグビー協会普及
育成委員に就任。現在は成城学園大ラグビー部監督、
スポーツ報知専属評論家。

 
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二宮清純《スポーツジャーナリスト》

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二宮清純(にのみや せいじゅん)
スポーツジャーナリスト
(株)スポーツコミュニケーションズ代表

1960年 愛媛県八幡浜市生まれ。
八幡浜高校を経て、日本大学商学部卒業。
スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツジャーナリストとして1987年に独立。
オリンピック・サッカーW杯・メジャーリーグ・ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開。
テレビのスポーツニュースや報道番組のコメンテーター、講演活動と幅広く活動中。
テレビ・ラジオのドキュメンタリー番組の構成も手掛け、1996年「野茂&ラモスのドリームトーク」(ニッポン放送)構成で、すぐれた放送作品に贈られるギャラクシー賞優秀賞を受賞。
1999年6月より、インターネット・マガジン「Sports Communications」を開始。
現在、株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。
ジャーナリストとして活躍する一方、「地域」と「住民」を主体としたスポーツクラブづくりにも取り組んでいる。

 
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奥村幸治《パーソナルトレーナー》

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奥村幸治(おくむら こうじ) パーソナルトレーナー

 (現シアトルマリナーズ)イチロー選手の専属打撃投手を務め“イチローの恋人”として一躍マスコミに紹介され、話題の人となる。その傍ら、自身も現役選手になる“夢”に向かい、入団テストでの挑戦を続けるが、夢は叶わず1996年自らユニフォームを脱ぐ。その後、少年野球チーム(宝塚ボーイズ)を結成し、自ら監督を務める。諸々の問題を抱える少年野球の世界を変えること、子どもたちに野球の素晴らしさを伝えるという新たな目標に向かい挑戦し続けている。

 
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西本聖《プロ野球解説者》

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西本聖(にしもと たかし) プロ野球解説者

1956年 愛媛県松山市生まれ。
1975年 ドラフト外で読売巨人軍入団、2年目から一軍入り。
1977年 大洋(現横浜ベイスターズ)戦でプロ入り初勝利。
1981年 18勝を上げ、沢村賞。
1985年 江川卓選手とともに巨人軍投手陣の二本柱として
      活躍。
      85年から6連続2ケタ白星を上げ、84年から7年連続
      ダイヤモンドクラブ賞を受賞。
      ドラフト外史上、3人目の100勝達成。
1988年 中日ドラゴンズへ移籍。
1989年 20勝を上げ、最多勝、カンバック賞、
      ダイヤモンドクラブ賞を受賞。
1990年 ドラフト外史上、初の150勝達成。
1991年 椎間板ヘルニア除去手術を受け、成功。
1992年 オリックスブルーウェーブへ移籍。
1994年 長島監督の元でのプレーを熱望し、
      再びテスト生として巨人へ入団。
      結局、1軍のマウンドには立てなかったが、
      その野球に賭けるひたむきな姿は多くの人に
      感銘を与えた。同年引退。
      通算 165勝128敗17セーブ 防御率3.20
      日本シリーズ29イニング無失点
2003年 阪神タイガース投手コーチとして優勝に貢献。

現在、日刊スポーツ評論家、文化放送解説者、野球教室、講演会講師。

 
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豊田泰光《プロ野球解説者》

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豊田泰光(とよだやすみつ) プロ野球解説者

1935年2月茨木県生まれ。
1952年、水戸商遊撃手として甲子園に出場し、開会式で選手宣誓。
翌年、西鉄ライオンズに入団し、新人王に。
1956年から西鉄の3年連続日本一に貢献し、首位打者やシリーズMVPなど数々のタイトルに輝く。
1969年に現役引退。
現役時代は「サムライ豊田」とあだ名され、チャンスにめっぽう強い打者として多くのファンを惹きつけた。
近鉄のコーチを経験後、1972年から論評活動に入り、現在は文化放送プロ野球解説者。
野球界のご意見番として健筆を揮い、日本経済新聞、週刊ベースボールの連載コラムは長寿を誇る。
 

 
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佐々木則夫《なでしこジャパン監督》

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佐々木則夫(ささきのりお) なでしこジャパン監督

1976年 インターハイ全国優勝(帝京高校3年)
1981年 NTT関東サッカー部 全国社会人大会 優勝 
1986年 全国社会人地域大会 優勝 ⇒ JSL2部昇格
1996年 ~1998年NTT関東サッカー部監督
      (1998は大宮アルディージャ)
1999年 大宮アルディージャ 強化普及部長 
2001年 ナショナルトレセンコーチ 
2004年 ~2006年1月大宮アルディージャユースチーム監督
2006年 なでしこジャパン(日本女子代表)コーチ及び
      U-15/U-16日本女子代表監督 
2007年 なでしこジャパンコーチ及びU-19日本女子代表監督
2008年 なでしこジャパン監督及びU-20日本女子代表監督
 

 
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芝田山康《芝田山親方》

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芝田山康(しばたやまやすし)
芝田山親方・元横綱大乃国

昭和57年春場所新十両、同58年春場所新入幕。
新入幕の年の九州場所で、北の湖・千代の富士・隆の里の三横綱を倒す大活躍。
翌年の春場所では、三横綱三大関を総なめにし、殊勲賞・敢闘賞を受賞。
同60年名古屋場所後大関昇進、同62年夏場所で全勝の初優勝を果たした。

昭和62年秋場所後に横綱推挙。
翌年春場所で二回目の優勝。同年九州場所の“昭和最後の一番”で千代の富士の53連勝に土をつけた。

平成3年名古屋場所、28歳で引退。現役名で年寄となり、のち「芝田山」を襲名。
平成11年6月に満を持して芝田山部屋を開き、現在親方として弟子育成に奮闘する傍ら、
角界きっての甘党美食家として、テレビ東京系『元祖!でぶや』等でも活躍中
 

 
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益子直美《スポーツキャスター》

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益子直美(ますこなおみ) スポーツキャスター

女子バレーボール「イトーヨーカドー」のエースアタッカーで元日本代表。
1966年5月20日、東京の下町「葛飾」生まれ。
中学時代からバレーボールを始め、高校時代は名門「共栄学園高校」のエースとして大活躍。高校3年の秋に全日本代表入り。
当時、益子から取った愛称「マコ」ちゃんとしてバレーボールファンのみならず、その美貌と高度なバレーセンスで元祖アイドルアタッカーとして全国に名を馳せる。
その後、新生「イトーヨーカドー」チーム入り、エースとして活躍。1990年には常勝「日立」を破って日本一に輝く。
1992年3月、現役引退。1年間アシストコーチとして後進の指導にあたる。
1993年4月、バレーボールで培ったスポーツマインドを生かして幅広いジャンルへの新たなチャレンジの為に華麗に転身。バレーボールを中心としたスポーツレポーターなどテレビ・ラジオ・雑誌で活躍中。
 

 
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舞の海秀平《スポーツキャスター》

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舞の海秀平(まいのうみしゅうへい)
スポーツキャスター・元力士

1968年、青森県出身。
日大相撲部で活躍。山形県の高校教師の内定が決まっていたにもかかわらず、周囲の反対を押し切って夢であった大相撲入りを決意。新弟子検査基準(当時)の身長に足りなかった為、頭にシリコンを入れて新弟子検査に合格。1990年5月、大相撲出羽海部屋入門。同月、初土俵(幕下付出し)。1991年3月、十両(四股名:舞の海)に昇進し、同年9月幕内入りを果たす。角界最少の身体ながら、「猫だまし」「八艘飛び」などファンを驚かせる数々の技を繰り出し、“技のデパート”の異名をとる。1999年11月の引退までに、技能賞を5回受賞。現在はNHK大相撲解説者などをつとめるほか、テレビ・スポーツキャスターとして幅広く活躍中。
 

 
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